子供産まれてからは話題はもっぱら子供についてばっかりですw

2011-03-14

3/11  東北沿岸大地震および津波があった時

11日、3時ごろに大きく揺れた。
1日前にも地震があったので、みんな余裕で「ゆれてるね~」と最初は話していたけど、ずいぶん長い揺れで、途中で電気も消えてしまったので、「これはヤバイ!!!」と思い、全員で外に退避。

看板や標識がぶるんぶるん揺れていて、信号機は明かりがついてなかった。

外に出てもすごい揺れていて、まるで船の上に居るような感覚で気持ち悪くなった。

幸い、私の居た会社は何も壊れず、窓ガラスも割れず、誰も怪我をしなかった。けれど、続いてまた揺れて、何度も外の駐車場まで走って逃げた。

すぐに携帯に地震速報的なものがきたり、あと携帯のワンセグ機能でテレビ中継を見た。震源はすぐにはっきりしなかったけど、東北地方とだけ分かった。東北地方から400キロ以上は離れている神奈川であんなに揺れたので、震源近くはどんだけだよ・・・と思っていたら、大津波で人や車や家が流されている模様がLIVE中継されていた。カメラが左を向いて、戻った瞬間にはさっきあったビルが丸ごとなくて、もうありえなかった・・・恐怖で泣き叫ぶ女の子の声や、呆然と立ち尽くす人が映って苦しくなった。その間にもまた何回も揺れ、もう意味がわからなかった。

私が居た神奈川の横浜では、とりあえず停電し、ファミコン状態(電源を抜くと切れるw)の私と次長のパソコンは強制シャットダウンで死んでて、他の人のパソコンはネットが一切つながらない状態で何もどうすることもできなくなっていた。もちろんFAXも使えないので、もう何も出来ないね・・・という感じ。

みんなで携帯のテレビを見ながら、被害状況を眺めているだけ。

何も出来ないけど、親の状況がきになったので、次長が電話かけてきていいぞといってくれたので、隣のコンビニへ行って、公衆電話でお母さんに電話した。引っ越して1年足らずの家出きっと心細いだろうと思って掛けたら、案の定ちょっと東北地方に近かったので、揺れが激しかったらしく、電子レンジが落ちそうになったらしい!とっさにテレビを台から下ろして外に逃げたらしい。マジGJwww とりあえず怪我もないし、お皿が何枚か割れたくらい・・とのことだったので、一安心。また連絡するから!と言った。平館さん、テレホンカード貸してくれてどうもありがとうね!

そうしている間に、もう仕事は出来ないから、各自解散しようということになった。私は歩いてもきっと1時間くらい、しかも今日はスクーターで来ていたので、何事もなく10分くらいで帰れる状態だったけど、他のみんながどうなのかと思い、5時近くまで会社に残った。一人はだんなさんが車で迎えに来てくれることになり、もう一人は気合で歩いて帰ることに。他は車で来ている人が多数居たので、途中まで誰かを乗せていくような感じで徐々に解散していった。

バイクで走り出すと、会社の近くの信号はみんな止まっていたので、交差点では徐行運転をした。譲り合って通れていたので、日本はまだまだ捨てた門じゃないなと思った矢先、隣駅周辺では普通に電気ついてた!信号もお店も余裕でついててちょっと唖然・・・ま、いいか。

帰り道、彼氏のご両親のところに寄った。大丈夫と思ったけど、心配で。そうしたら、超色々余裕で、お父さんも帰っててあれww?みたいな。

なんでも、風邪気味で微妙に調子が悪かったので、早引きして帰ってきて、家に入ってふう・・とくつろいで5分ほどしたら自身がきたらしい。なんてラッキーな・・・思わず「おじちゃん、持ってるねwww」と言ってしまった。

ほっとしてたら、お母さんが「紅茶入れたよ~」とか「肉じゃがあるけど食べるでしょ?どうぞ~」とか「あ、おやつにドーナッツ食べようか!」とか色々出してくれて、あれ、今大災害あったよね?ってことをすっかり忘れるくらいの超くつろぎモードに。えーっと・・・

その間に、さっき携帯のワンセグで見た震源地近くの被害状況が浮き彫りに。大津波が来て、ありえないくらい街を根こそぎ流している映像を見た。もうね、パニックものの映画なんてちっぽけなくらい酷い画だった・・・今この瞬間に本当にこんな酷い状況下に置かれてる人がいるなんて・・・と言葉を失った・・・

私の彼氏は都内で働いていたのですが、ビルも倒壊もせず何とか無事。でも、電車も地下鉄も全線運転中止状態だったので、どうにも出来ないのでとりあえず会社に居るとのことでした。無事でよかった。私は自分の両親の元にいると知って安心してくれてた。

ゆっくりさせてもらい、7時くらいにうちに帰ってみますとお暇しようとしたら、玄関先で宅急便屋さんのおじさんが、セブに礼文より無効は全部停電してるよ!との新情報・・うちどうだろ?・・・まぁ、マグライト持ってるし、どうにかなるだろ・・と思いつつ帰宅。家も丁度電気が大丈夫な地域だったらしく問題なく普通な状態だった。

うちは、サランラップがいくつか床に産卵してて、あと私の乳液と香水のビンが倒れていただけで、何かが壊れているということはなかった。

それからずっと食い入るようにテレビを見ていた。ずーっと酷い被害状況が流れているだけだけど、とにかく知らなきゃ!と思い、画面を食い入るように見つめていた。そのうちにメールを送っておいた友達から安否のメールが続々着た。

私の友達なんて少ないけど、その少ない友達はみんな無事で、知っている限りのその知人も現状無事との連絡を受けてほっとした。

あとは、海外に居る友達に無事だよと一言だけど、メールを送っておいた。

ロシア人の友達からはすぐ連絡があり、メールをもらって本当に安心したよ!とか、電話するからとにかく安全な場所に居て!とかやさしいメールを頂いた。ありがたや。

私の彼氏からは電話以降連絡がなく、心配していたら、10時すぎに家電に連絡があった。そうしたら、九段下から家まで歩いているって!3時間くらい歩いたところで、今は鷺沼ら辺だよとの電話が入って、超びっくり!道中、高級自転車屋さんが軒並み品切れになるくらい、相当な数の人が歩いて帰ろうと頑張っていたらしい。とにかく待っているから!と伝え、ひたすら待機。

0時回って「もうそろそろここら辺かな・・・」と思っていたところにまた電話が掛かってきて、やっと最寄り駅ら辺にきたけど、いまさら電車動いてるくそーo(`ω´*)oプンスカプンスカ あと30分しないうちに帰るよ!と言ってくれた。何か食べるかもと思い、それよりは役にご飯も用意して会ったし、体が冷えているだろうからと思い紅茶も用意。あと、お風呂の準備もしておいたほうがいいよねと思っていたら要請があったので、と急で沸かした。

外で帰りを待ってたら歩いてくるのが見えたので、一緒に家に入った。藻超冷えてて可哀想だった。丁度いい温度になってるお茶を飲んでもらって、しみじみ二人でニュースで惨状を見ながら抱き合った。震源近くで被災した人に大して申し訳なくそんなこといえないけど、でも本当に不安だった。親兄弟友人、彼が無事だったけど、本当に帰ってくるまで不安で仕方なかった。たまたま私の住んでる地域は電気もあるし、暖かいお風呂にも入れている状態だったけど、こんな普通の生活が今東北地方の大部分の人ができなくなっている状況がひたすら怖かった。

この日は3時近くになって彼とくっついて就寝した。温かくてとても安心してすぐに寝入ったけど、意識がなる句なる寸前まで、こんな自分たちだけ温かく安心して休んで申し訳なく感じていた。

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